クラシックの作曲家たち
ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン
1770 - 1827
疾風怒濤の時代のウィーンに生き、努力と才能、持ち前の図太さで、作曲家を〝芸術家〟に昇格させた、熱き男のゴーイング・マイ・ウェイな人生!
「ジャジャジャジャーン!」で始まる<運命>「交響曲第5番」や、「喜びの歌」で知られる「交響曲第9番」を作曲した、〝楽聖〟ベートーヴェン。史上もっとも偉大な作曲家の一人であることは間違いないが、実際の彼は、なかなか付き合いづらい人だったらしい。
音楽にかける情熱はひたすら熱く(だから、作品も熱いものがけっこう多い)、恋愛でも、人付き合いでも、熱くなりやすいタイプだった。良く言えば〝熱い男〟、悪く言えば〝かんしゃく持ち〟〝傲慢〟〝わがまま〟……。貴族のパトロンにはむかって喧嘩別れしたとか、劇場の支配人と分け前のことでよくもめたとか、甥っ子を無理矢理養子にしようとして弟の嫁と骨肉の争いを繰り広げたとか、貴族出身の人妻と不倫していたとか、彼の〝熱さ〟を物語るエピソードを挙げていたら、本当にキリがない。
ベートーヴェンが、ドイツのボンに生まれたのは、1770年のこと。日本で杉田玄白らが『解体新書』の翻訳を始める1年ほど前のことだ。祖父は宮廷楽長、父も宮廷楽師という音楽一家に生まれ、幼くして音楽的才能を発揮していたけれど、父親は飲んだくれで、子供の頃からかなりお金に苦労したらしい。その反動からか、ベートーヴェンは金銭にけっこううるさい人だったともいわれている。
1789年、18歳になった彼がボンの楽団のヴィオラ奏者の職を得た頃、隣国フランスでは革命の嵐が吹き始めていた。間もなくしてナポレオンが登場し、すったもんだの挙句、1814~15年に開催されたウィーン会議を経て世の中が落ち着きを取り戻すまでの間、ヨーロッパは疾風怒濤の時代を迎えている。つまり、ベートーヴェンは、世の中が貴族中心から市民中心の時代へと移り変わる、まさに激動の時代を生きた人だった。
ベートーヴェンが若かった頃、音楽家がそれなりの生活を送るには、まだまだ貴族の支援が欠かせなかった。22歳でウィーンに移住した彼は、すぐに新進気鋭の音楽家として注目され、貴族のパトロンも現れ、それなりに安定した生活を送っていた。でも、そうした当時の音楽家の置かれた状況自体、ベートーヴェンは我慢ならなかったようだ。彼の気持ちを代弁すれば、たぶん、こんなところだ。――俺は自分が作りたい芸術作品を創作しているのであって、貴族の注文に応じて作曲してるわけじゃない――。だが実際は、彼の師匠だったハイドンも、先輩だったモーツァルトも、基本的には貴族や教会のために音楽活動をして暮らす〝雇われの身〟だった。モーツァルトなどは、自分の力だけで稼ごうとして失敗し、貧困の中で死んでいったのだ。
その点、ベートーヴェンは図太かった。若い頃「貴族たちを自分の芸術の前にひれ伏せさせてみせる」と豪語していた彼は、パトロンがなんと言おうと自分が作りたい曲を作り、約束した支援金を払えなくなったパトロンは裁判所に訴え、周囲に敵が増えるのも厭わず、我が道を歩き続けた。貴族を嫌悪しつつ、憧れも抱いていた彼は、貴族の女性たちとも次々と恋をした。中には結婚寸前までいったこともある。おまけに〝ベートーヴェンは王族の血を引いている〟という噂が立てば、否定せずにそのままにした。つまり彼は、貴族とはあくまでも〝対等〟であろうとし、利用できるところはしっかり利用したのだ。
そんなベートーヴェンは、中年になる頃には、かなり〝感じの悪い偏屈オヤジ〟になっていたようだ。1812年、41歳だった彼と会見した文豪ゲーテは、ベートーヴェンの存在感に圧倒されつつも、「自分の態度で、世の中をいくらかでも楽しくしようという気持ちがまったく感じられなかった」と述懐している。
ただし、ゲーテも擁護しているが、ベートーヴェンがそんな偏屈なヤツになってしまった理由の一つには、おそらく耳の問題があったはずだ。彼の聴力はすでに二十代の終わり頃から悪くなりはじめ、以降、改善することなく悪化の一途をたどっていた。そんな彼が、人付き合いがへたくそになってしまったとしても、同情の余地は十分あるだろう。
この通り、〝偏屈オヤジ〟とか〝人嫌い〟として知られていたベートーヴェンだが、少なくとも40代のはじめまでは、結婚を強く望んでいたことは間違いない。しかも、数は少ないが、若い頃から死ぬまでつき合いのあった親友もいたし、意外なことに、子供好きでもあったという。そして彼は、なんだかんだ言ってウィーンの人々にとても愛されていた。その証拠に、1827年、56歳で亡くなった彼の葬儀には、数千人の人々が集まったという。
天才・モーツァルトでさえ成し得なかった、一人の芸術家として社会から認められるという偉業を、努力と才能、そして持ち前の図太さで実現したベートーヴェン。人生いろいろあって、〝偏屈オヤジ〟になってしまったけれど、その本当の素顔は、案外、チャーミングであったのかもしれない。