クラシックの作曲家たち

フレデリック・ショパン

フレデリック・ショパン

1810 - 1849

19世紀前半、花の都パリで社交界の寵児となった、 ポーランド生まれの〝ピアノの詩人〟。 繊細な心と身体の持ち主だった彼が、 最後に行き着いた安住の地は…

 「別れの曲」として知られる「練習曲第3番」や、「幻想即興曲」など、今も世界中で愛され続けるピアノ曲を数多く書いた〝ピアノの詩人〟ショパン。彼が活躍した19世紀は、1809年にメンデルスゾーン、1810年にショパンとシューマン、1811年にリスト、1813年にワーグナーとヴェルディと、立て続けにビッグネームがこの世に誕生した、華やかな時代だった。日本でいえば、そろそろ幕末。そんなわけで、ショパンなどは、本人の写真もちゃんと残っている。身体を壊していた晩年の写真のためか、疲れた顔をしているが、品があり、身なりもとてもちゃんとしている。
 この頃になると、作曲家の社会的地位もずいぶん高くなり、各自で自分が思う楽曲を作り、芸術家として、劇場やサロンなどで活躍する時代になっていた。とはいえ、才能さえあれば必ず稼げるとは限らないのは現代と一緒。支援してくれる貴族や富裕層がいないと、思うような音楽活動が続けられない作曲家は少なくなかった。
 ポーランドのワルシャワ郊外で、教師の家に生まれたショパンは、若い頃から音楽的才能を発揮し、19歳でワルシャワ音楽院を卒業。後にパリに移住し、22歳でその地でデビューを果たした。詩的で情感豊かなショパンのピアノは評判になり、瞬く間にパリ社交界の寵児となる。貴族のサロンを主な活躍の場としていたショパンは、最高の仕立て屋で服を誂え、白い革手袋をして、帽子、ステッキ、靴など、趣味の良いものをそろえていたという。
 ショパンがどんな人物だったかを語るには、彼のかなり親しい友人の一人にして、当時スーパースターとして音楽界に君臨していたリストと比較するとわかりやすいだろう。リストはショパンの1つ年下だが、12歳でパリデビューを果たし、その超人的なテクニックで十代半ばですでに世界最高のピアニストといわれるほどの地位を確立していた。おまけに超イケメンで、熱狂的な女性ファンが多いことでも有名だった。演奏スタイルは派手で、悪く言えば、名人芸をこれでもかと見せつけるタイプ。重厚な音色がよく響くエラール社などのピアノを好み、大きなホールでの演奏はお手のもの。性格は演奏スタイルと似ていて、派手で自己顕示欲が強いところがあったようだ。ただし、非常に面倒見の良い人で、後輩や仲間の手助けもよくしたし、慈善事業にも積極的だった。
 じゃあ、ショパンはどうだったかというと、まあ、ほぼその反対を想像してもらえばよいだろう。ルックスが魅力的で女性ファンが多かったのはショパンも負けていないが、演奏スタイルは改めて言うまでもなく詩的で情感豊か。完璧なテクニックを身に着けてはいたが、それをひけらかすようなところはまったくなかった。繊細なタッチで柔らかな音色が特徴のプレイエル社のピアノを好み、サロンなどの小規模な演奏会を好んだ。性格のほうは、スマートな社交性を身に着けてはいたものの、どちらかといえば内向的で、自分を誇示するところもなく、他人に対して、あまり興味がわかないタイプだったようだ。
 で、この正反対の二人がどんな関係だったかといえば、リストのほうは、ショパンの才能を心底認めていたし、人間的にも手放しで好きだったようだ。ショパンは39歳の若さで亡くなってしまうが、リストは後にショパンの伝記まで書いている。一方のショパンは、どこかリストに一定の距離を置こうとしていた印象が漂う。リストのテクニックは賞賛しつつも、彼の作品にはあまり興味がなかった。
でも、ショパンのそうした独特の〝距離感〟はリストに限ったものではなく、同じ作曲家仲間だったシューマンやメンデルスゾーンに対しても同じだった。特に、ショパンは、リストやシューマンのように作品を言葉で解説したり評論することをあまり好まなかった。自分の作品を褒めちぎった論文についても、ポーランドの友人に宛てた手紙の中で、「まったく死ぬほど笑ってしまったよ」などと、一笑に付している。結局のところ、彼が本当に心を開いていたのは、同郷のポーランド人だけだったようだ。
 28歳になったショパンは、貴族出身で作家のジョルジュ・サンドと恋に堕ち、結婚はしなかったが、一緒に暮らすようになる。男装をしたり、男の名前で小説を書いたりしていたサンドは、2人の子供を育てるシングルマザーで、経済力もあり、当時の最先端をいく女性だった。元来繊細で身体も丈夫ではなかったショパンが創作活動を続けられたのは、サンドがまるで母親のような愛情で彼を支えたからともいわれている。実際、37歳でサンドと別れたショパンは創作意欲も使い果たしてしまったようで、体調はどんどん悪くなり、2年ほどで亡くなってしまうのだ。遺言に従い、ショパンの心臓は遺体から切り出され、ポーランドへと運ばれた。聖十字架教会の柱の下に納められ、今もそこに眠っている。

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Text:Akie Uehara
Illustration:Joe Ichimura